不忘平和記念公園
不忘平和記念公園
忘れじの山「不忘平和記念公園」
南蔵王「不忘山」は、忘れじの山として海藤節生さんのオリジナル曲「レイクサイドタウン」に歌われています。
この一帯はキャンプ地・桜の名所・紅葉の名所としてアウトドアを好む人達には格好の遊び場ですが、悲しくも暖かい現実があったのでした。
<不忘平和記念公園 碑文>
「太平洋戦争が益々苛烈の度を増す1945年3月10日の午後9時30分頃から3月11日午前2時頃にかけて、アメリカ軍の重爆撃機B29三機が相次いで不忘山に激突した。
3月10日は東京大空襲のあった日である。又、3月10日の夜は蔵王連峰は猛吹雪であったと地元民の話が伝えられている。
この三機の爆撃機がなぜ蔵王連峰不忘山に向かったのか、どんな理由で墜落したのかはいまだに謎である。
この事故で34名の米軍兵士全員が死亡した。
1961年、私達の先人が恩讐を越え『人間は皆兄弟』の心を持って、不忘山頂近くに『不忘の碑』をつくり、
永遠の世界平和を願った。
星霜過ぐること70年、不忘の裾野の十数ヘクタールの土地に『世界平和の碑』を建立し、約3000本の山桜と枝垂れ桜を植え、34名の米軍兵士の英霊を始め、原爆で未曾有の悲劇を被った広島、長崎市民、島を挙げて戦った沖縄の人々、そして第二次世界大戦で犠牲となった全世界の死者、総数約5000万人の御霊を鎮魂するとともに、未来を担う子供達に戦争の残酷さ、悲惨さを風化させること無く、生命の尊厳と平和の尊さが語り継がれることを願い、且つ永遠の平和を祈り不戦を誓う。
以上が『不坊さん平和公園』建設の趣旨である。
なお、この不忘山麓の地は、太平洋戦争の傷を負って入植した開拓民が臥薪嘗胆の思いで一鍬一鍬耕し、緑の大地に創り上げたものである。
そして『忘れずの山』不忘山は、1万マイルも遠く故郷を離れて亡くなった米軍兵士の英霊を慰め、多くの人々に平和の歓喜と希望と未来への躍動を語ってくれる。慈みに満ちた母なる山である。
2015年八月二日
不忘平和記念公園建設委員会 」
と記されておりました。
2018年10月29日月曜日